ウェブで読む:https://foomii.com/00263/20230324090000107046 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ASKA サイバニック研究所 ●仏教は大和民族が持ってきた? 2023年03月24日 ─────────────────────────────────── 日本史では「仏教」が中国から伝わったのが、『日本書紀』の記述に、第29代欽明天皇13(552)年とされ、百済【くだら】の聖明王の使者が、日本に金銅仏像と経典を献上したとあり、それを以って日本に仏教が伝来したとされている。 その後、仏教を受け容れる〝崇仏派〟の蘇我稲目【そがのいなめ】と蘇我馬子【そがのうまこ】対、仏教排斥の〝排仏派〟の物部尾輿【もののべのおこし】と物部守屋【もののべのもりや】が対立、最終的に蘇我氏&厩戸皇子【うまやどのおうじ】である聖徳太子が物部氏を滅ぼし、仏教を正式に導入したとされる。 その為、正式な仏教導入は593年に聖徳太子が叔母の第33代・推古天皇(女帝)が即位した後「摂政」となった後、推古12年(604年)の「第十七条憲法」を発布した年とする見方もある。 何故なら「第十七条憲法」<第2条>の冒頭に「篤【あつ】く三宝を敬え」と、仏教の「三宝(仏・法・僧)」があるからだ。 ところが、最近、この「第十七条憲法」が聖徳太子の偉業を利用した後世の作とする学者が多く出始めており、『日本書紀』に「皇太子、親みづから肇はじめめて憲法十七条を作りたまふ」と太子の制定とは書いておらず、太子の飛鳥時代には無い、大宝元年(701年)に制定された「大宝律令」以降の「国司」の文字が第12条に使われているからだ。… … …(記事全文7,265文字)
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