… … …(記事全文2,549文字)
私ごとになるが、この八月末にワックより、『そんなバカな!』がリニューアルして発売される。
実際に書いていたのは1990年頃だが、動物行動学をベースに展開する人間行動の解説は時代によって左右されない普遍的なテーマである。
そのため再び光が当てられることとなった次第だ。
たとえば親と子の対立。
親と子どもたちというのは非対称な存在だ。
親から子どもたちを見ると、どの子も血縁度1/2の存在で遺伝的に同じ価値を持っている。
しかし、一人一人の子にしてみれば、自分自身と自分以外のキョウダイとは価値は同じではない。
自分は自分にとっていわば血縁度1の存在だが、キョウダイは1/2。
片方の親が違うのなら血縁度は1/4にまで落ちてしまう。
そこで親の投資と、自分が施してほしいと思う投資の間にどうしてもずれが生じ、親と子は対立するのである。
もっとも、親子は対立するばかりではない。
たとえば上の子が下の子に割とすんなりと親の投資、つまり世話などを譲ってしまう場面もある。
どうした風の吹き回しなのだろう。
それは、その子がある程度成長した場合、親の投資を独占しておくよりも、下の子に譲ったほうが、自分自身にとって有利になるからだ。
下の子にしても自分の遺伝子を1/2も共有する存在(こういう場合、何も全遺伝子の1/2を共有するという意味ではなく、その家系に特徴的な遺伝子のみに注目し、それらの遺伝子のうちのどれくらい共有するのかを問題にしている)。
その共有している遺伝子に対し、親の投資をさせることになるから、自分自身にとっても有利になるのである。
女にとって、息子は自分よりもはるかに繁殖の可能性を秘めた存在である。
女は産むことのできる子の数に限りがあるが、男は条件さえそろえば無限の可能性を秘めている。
その息子を活躍すべく後押しをするのは当然だろう。
嫁姑の争いにおいて、とてつもない嫌らしさを発揮し、嫁を乳飲み子つきで実家に戻すことなど基本中の基本なのだ(なぜならそのことにより、子の養育については嫁の実家がほとんどの費用を負担することになり、息子には新しい嫁との繁殖が期待できる)。

購読するとすべてのコメントが読み放題!
購読申込はこちら
購読中の方は、こちらからログイン