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今月16日、富山地裁において、8年前、実の父親から性的暴行を受けたとして、24歳の女性が実名で被害を訴えた事件で、起訴された父親の初公判が開かれたが、父親は「娘は抵抗できない状態ではなかった」などと述べ、無罪を主張しているという(同日配信のNHKニュースより)。
抵抗できたかどうかではなく、なぜ実の娘に?
もし子ができてしまったなら、それは極めて近縁の者どうしの近親交配による結果だ。
近親交配さえしなければ、表にその性質が現れてくることはない、有害な形質に関する劣性の遺伝子が2つ揃ってしまい、弊害が現れる。
であるからこそ、実の父と娘のような近親者どうしは交わることを防ぐための仕組みがある。
その1つは、生まれたときから同じ屋根の下で暮らし、生活をともにしてきているということである。
生活をともにしてきた男女は大人になったときに互いに恋愛対象として避ける傾向があるからだ。
これはイスラエルのキブツという共同体でわかったことで、たとえ血縁がなくとも、同じ屋根の下で暮らした男の子と女の子は、大人になってから恋愛対象として選ばず、結婚もしにくかったのである。
現実の生活という、所帯じみた、およそロマンティックとはかけ離れた状況の中では恋愛という、夢や美化、勘違いなどによって推し進められる心の動きが抑制される――そういうことなのかもしれない。
実の父と娘もお互いに現実の生活を送ることでロマンティックの要素は除外されるはずである。
それなのに今回のケースはなぜ起きたのだろう。
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