… … …(記事全文2,789文字)「『太平洋の巨鷲』山本五十六 用兵思想からみた真価 前編」(大木毅著・1012円・KADOKAWA)
名将か、凡将か?真贋を問う。『独ソ戦』著者の新境地、五十六論の総決算!
純粋に「軍人」としての能力を問う。
戦略、作戦、戦術の三次元で神話と俗説を解体する。
戦争に反対しながら、戦争を指揮したことで「悲劇の提督」となった山本五十六。
そのイメージは名将から、その反動としての凡将・愚将論まで、百家争鳴の状態となっている。
しかし、これまでの研究は政治との関わりに集中し、軍人・用兵思想家としての評価は後景に退いていた。
戦略・作戦・戦術の三次元における指揮能力と統率の面から、初めて山本を解剖する!
■山本は独ソ和平工作を仕掛けていた
■真珠湾攻撃、第二撃は当時から断念やむなしの空気だった
■ハワイを爆撃できる航空機を求めていた山本
■MI作戦(ミッドウェイ攻略)は最初から杜撰な計画だった。
■1930年代の山本の評価は「軟弱な親英米派」
■第一次ロンドン軍縮会議では山本は艦隊派に与していた。
■航空主兵論に大きな影響を与えた堀悌吉
■陸攻は戦略爆撃でなくアメリカ艦隊撃破のためにつくられた
■「半年か一年の間は随分暴れてご覧に入れる」の真相
■山本は戦艦を捨てきれなかった
■ミッドウェイで戦術的怠惰はあった
軍縮条約による保有艦船制限に賛成し、ドイツ・イタリアとの接近に反対した山本五十六。
既存勢力との対決。拡張主義を是とする当時の風潮にあっては軟弱な親英米派とみなされ、激しい批判の的になっていました。
その山本が連合艦隊司令長官となり、真珠湾攻撃をはじめとする諸戦で大きな戦果を挙げると、一躍、名将へと祭り上げられます。
1943年にブーゲンビリアで戦死したとあってはなおさら「悲劇の大将」としてクローズアップされました。日本が戦争に敗れて米国の占領下に入った後も、山本の人気は崩れませんでした。
それは山本が独伊同盟さらには日米開戦にも反対していたことが広く知られ始めたからです。
「対米戦争不可なり」と確信していたにもかかわらず、海軍実戦部隊のトップである連合艦隊司令長官として勝利を追求しなければならなくなった「悲劇の提督」という要素が評価に加わりました。
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中島孝志(作家・コンサルタント etc)