… … …(記事全文2,590文字)「『太平洋の巨鷲』山本五十六 用兵思想からみた真価 後編」(大木毅著・1012円・KADOKAWA)
「私は大臣に対して絶対に服従するものであります。ただ心配に絶えぬところがありますのでお尋ね申し上げます。8カ月前まで、私は次官をつとめておったときの政府の物量計画は8割まで英米圏内の資材で賄うことになっておりました。しかるに、三国同盟の成立したときには英米寄りの資材は必然的に入らぬはずですが、その不足を補うため。どういう計画変更をやられたか、この点を聞かせていただき、連合艦隊司令長官として任務を遂行していきたいと存じます」
会議終了後、山本に論断された及川大臣は、事情をやむを得ないものがあるので勘弁してくれ、と釈明しますが、山本が勘弁で済むか、と声を荒げる一幕もあったのです。
1年前、海軍当局は日独伊三国同盟に同意しなかった。その理由はこの同盟は必ず日米戦争を招来するものであり、その場合、海軍軍縮の現状をもって勝算がない。勝算を得る道はただ一つ。航空軍備の充実あるのみ。しかしそれには年月を要する故、日米戦を必至とするが如き条約を締結すべきではない、としたのです。
ところが、日独伊三国同盟は現実のものとなってしまいます。
山本は成立後、戦闘機、中攻それぞれ1000機を保有するよう中央に申し入れます。切実な要求ですが、当時の日本の生産力、搭乗員養成能力からすれば実現不可能故、あえて無理な要求を突きつけ、「その覚悟が海軍中枢ひいては政府にあるのか」と訴えたのです。
近衛文麿首相に別荘「荻外荘」に招かれて、「やれと言われれば、半年から1年の間は随分暴れてごらんに入れる。しかしながら2年3年となれば全く確信は持てない」
「三国条約ができたのは致し方ないが、かくなるうえは、対英米戦争を回避するよう極力ご努力を願いたい」という有名な回答をしたのです。
日米和解の障害=外務大臣松岡洋右が排除され、関係改善も望まれるかもしれない。
しかし日本は悪手を打ってしまいます。「これぐらいのことで米国が出てくることはあるまい」と高をくくったのが南部仏印進駐でした。
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中島孝志(作家・コンサルタント etc)