… … …(記事全文3,297文字)「都会と田舎 日本文化外史」(塚本学著・1540円・講談社)
花のみやこか、懐かしきふるさとか――。
日本列島の文化の歴史は、海の外からやってきた最新の情報があつまる都会への憧れと、生まれ育った郷土への思い入れのはざまで紡がれてきました。
奈良、京都、のちには江戸・東京という「みやこ」に対する「地方」の憧れと反発、さらに中国大陸や欧米という「中央」に対する「辺境」日本の憧れと反発という二重の交錯を見据え、そこに織りなされる綾を丹念に描き出した唯一無二の列島文化史。
夷なる日本が華なる中国に劣らないと主張した京都生まれの伊藤仁斎。
関東出身で田舎固有の文化に価値を見出し江戸学芸を京から自立させた荻生徂徠。
日本文化や日本的なるものの一貫性を否定した内藤湖南。
「国史」の範囲に苦悩した黒板勝美。
日本文化が基底のところで一体のものであることを前提にしたことで「郷土を捨象した」と批判された、民俗学の父・柳田国男。
敬意をいだいていたのは、田舎に「いにしえのみやび」を見出した本居宣長。
古代の青銅鏡が示す畿内王権や記紀神話にはじまり現代にいたるまで時代を縦横無尽に扱いながら、独自の視点で日本文化の形を照らし出しています。
「都会から田舎への人口逆流が進んでいるかに思えますが、それは東京の拡大現象にほかなりません。大都市近郊の村々は別として、日本列島上の田舎の多くは人口流出を悩みとしています」
「大都会住民が結婚しても住むべき家を持てないのに対して、家があっても嫁の来てがない、という田舎が少なくありません」
「都会生活に疲れた住民が田舎に憧れる面はありますが、少数の例外を別とすれば、それは一時的な休養や息抜きの機会に限られます」
「都会は進んだ世界であり、田舎は遅れた世界である。こういう感覚は人生の成功者は都会に、競争に破れた者が田舎に、という構造を伴って人々を捉えています」
「田舎の側だけでなく、都会の側の不幸も、進んだ都会と遅れた田舎観によってできています」
どれもこれも、田舎にとって救いようにない話に聞こえてしまいますが、さて、そもそも「都会」と「田舎」とはどこで分けられるんでしょうか。人口、経済規模、成長率・・・いろんなデータをチェックすればいとも簡単にランキングはつくれそうです。
私のようなハマッコという中途半端なポジションにいると、「都会だなー」と感じることはほ
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