… … …(記事全文2,076文字)「芸能の不思議な力 後編」(なかにし礼著・1870円・毎日新聞出版)
2017年夏、NHK BS プレミアムインタビュー・ドキュメント
「自伝なかにし礼~わが恋 わが愛 わが命」
番組宣伝を見ると・・・ヒットメーカーなかにし礼が、ニ度のがんを克服後に名曲ゆかりの地を巡り、自らの言葉で人生を振り返る。旅の最後は中国葫蘆(コロ)島。辛い引き揚げ体験が創作活動の原点と語る。
「この機会にぜひ行ってみたい場所はありますか?」
思わず口から出て来たのが・・・葫蘆島に行きたい。
ソ連侵攻から牡丹江→ハルビン→葫蘆島引き揚げ船まで広い満州を1年2カ月逃げまわる壮絶な体験をした)。
「あの1年2カ月にまさる飢えと恐怖に襲われたことはない。
あの1年2カ月にまさる失意と絶望に落ち込んだことはない。
あの1年2カ月は私の人生の核であり私の感受性の中心部である」
満洲引揚者ならあの場所。石炭を運ぶ無蓋車に乗せられ、あるいは歩いてか、とにかくこの島にたどり着いた日本人は毎日15000人。
ここで検閲を受け、整理番号をつけられて乗船まで待つ。博多や佐世保に引き揚げた数105万人。著者もそのうちの1人。
戦後3回、牡丹江やハルビンには足を運んでいたが、葫蘆島までは行っていなかった。心のどころかに引っかかっていた。
港近くの辺鄙なところにくたびれ果てた駅舎がポツン。71年経って生きて再びここに来るとは・・・。
戸川昌子はいつも原稿用紙に向かって楽屋で何か書いていた。
「なに?」
「ラブレター」
「ずいぶん長いラブレターだね」
「思いの丈を書き綴っているのさ」とたばこの煙で表情を隠す。
そうこうするうち、江戸川乱歩賞受賞。颯爽と文壇にデビューしていった。
昭和39年1964年、丸山明宏(当時)は「ヨイトマケの歌」で一世を風靡。
正真正銘の大スターになってしまった。
「打ちのめされた」
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中島孝志(作家・コンサルタント etc)