私が生きてきた中で一番耳にしたと記憶しているのは「普通」という意味を含む言葉だったように思う。
私は、めんどうくさい。そんなに強い人間じゃないけど、強く見られたいし、でも、のっけからそう見られるとそんなに強い人間じゃありませんけど?と、振舞う。
考えはしてるけど、それを言葉にするとき、私はいつも間違える。というよりも、はしょったり、飛ばしたり、言葉にできずに擬音だけだったりと、雰囲気喋りが激しい。
本を読んでいると、頭がよさそうに見えるという法則がある。でも、頭がよさそうって何だろうと私は思う。辞書を持ち歩いている子がいるとしても、それが国語辞典なら英語は苦手かもしれないし、小説を持ち歩いていても、書くことは苦手かもしれない。頭がいいは、概念が輪郭をもっていないみたいでなんだかしっくりこないのだ。私は幼少期から本の虫だが、だからと言ってお勉強ができたわけではない。もちろん読解力はあったのかもしれない、でも、それだけだったと思う。
私が小学生だったころ、全校生徒を対象に年に一回、カウンセリングの時間があった。相談内容は自由で、みんなそれぞれの事を話していたと思う。私は特に話す事がなくてカウンセラーの先生が聞いてくることに答えるだけだった。
そこでの出来事で唯一覚えているカウンセラーの先生からの言葉は「あなたは自分のことを物語のように話すね」だろうか。私は私を主軸に物事を語るのが苦手だったように思う。俯瞰して語り手だと思うとよく喋れるし、その時の出来事をよく覚えられた気がしている。
私の喋りが下手だなと思い始めたのは、中学生くらいだろうか。言ったことが相手にその通りに伝わらないことが増えてきた。中学生になると、班長だとか、委員長だとかみんなの代表になることが増えて発言する機会が増える。それと同時に、みんなの意見と自分の意見の両方を言わないといけなくなる。そこで私は躓いたんだろう。誰の意見なのかそれが分からない喋りをする私は、先生にみんなの意見が私が持った意見として捉えられたり、私個人が思っただけのことでも、それがみんなが思ったことになったりした。そのため、私が困るだけならまだしも、みんなを巻き込むこともあった。主語が埋もれると言葉全体の責任が相手の受け取り様で大きく変わることをそこで学んだのだ。
そして、この頃から増えたように思うのだ。できること、できないこと。したいこと、したくないこと。みんなそれぞれと多様性を教科書で学ぶと同時に、周りと違うことを問われたり、当たり前だろうと知りもしない常識にあてはめられたりすることが。
時を進めて4・5年後、人の失敗を叱る時、そうだよなと納得する出来事があった。
高校を卒業してすぐ、キャリアカーを作る会社に就職したのだが、そこは日本人よりも外国人の方が多く在籍しており、日本語よりも外国語の方がよく飛び交っていた。
私は入社3か月経つ頃には、一人でキャリアカーの配線を任されるようになり、半年後には外国人の部下ができて教えないといけなくなった。
日本人の先輩がここ半年でだいぶ辞めていき、外国人へ教える機会が増えて先輩方は常に怒っていた。外国人に教えるのは心身ともに気を遣うし、日本語で伝わらない分、労力がかかっていた。
私が教える立場になってそれらの話を聞いていてよかったなと思うぐらいには外国人の新人教育は大変だった。日本語が伝わりきらないのもそうだが、常識や基準が違うのだ。
「綺麗に」はその場から片付ける対象が見えなければ完了したことになる為、よく下に隠してあったり、工具箱に雑多に置かれたりとさんざんで。
「気を付ける」も誰もがけがをしないことではなく、自分が助かればいいと思っている者もいた。
でも、このことで分かったのは、知っていてミスをすることと、知らないでミスをすることは叱る論点が変わると言う事だろう。私が教えているこの子はどう思ってそう行動したのか、それを考えるようになった。
外国人だからと思考を巡らせ教えてはいたが、ふと思ったのだ。人はそれぞれ別個体で生活しているのだから人種問わずありとあらゆる考えにムラが生まれる。
こういった経験から、当たり前やふつうは一般常識ではないと思うのだ。
私が言われないようにと気にしていた、「普通の子」になることはまずもって目指すべきゴールではなくて、どんな自分になりたいかを考えるべきなんだろうと考えてはいるが今の私はまだ思案中である。

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