人は、人と違うことを恐れるものと人と違うことを誇りに思うものがいる。
私は今、木枯らしの吹く肌寒い季節にひとり外のベンチに座っている。
夏の間、幹にしがみついていた葉が力を失い落ちていく様子を眺めて。
そう、ただ、眺めている。そうしている間に、人の人生というのは進み続けている。
私はまだ、私の目指すべきものを見つけられてはいない。生きてはいこうと思うけど、どう生きるかは決めていない。私がこうして、ぼおっとしている間に、誰かは忙しくしているかもしれないし、決断しているかもしれない。
かもしれないけど、そう考えると焦ったりはみんなするものだろうか。
私の好きなことは、考える事。考えてなにか出るわけでも、できる訳でもないけれど、考える事が私のひとつの趣味とも言える。
落ち葉が舞い散るとき、桜が舞い散るとき、人はそこに神秘を感じる。
生命の終わりとは、儚いものだ。儚さは神秘と親和性があって、人の感性はそこに引かれる。
わたしの目の前でまた、葉が落ちた。
落ちた葉を、敷き詰めた道を通行人が歩いていく。綺麗だねと見渡して、上を見上げて、ひらひらと落ちる葉を見ている。
私の目線は足元に向く。綺麗だと見送った葉を容赦なく踏みつけて歩く彼らに私はなんだか虚しさが募った。
人の人生はきっと落葉樹のようなものだと思う。爬虫類と例えてもいいけど、私はきっと樹木を選ぶ。
ちいさく芽を出して始まった人生は、地球と自然の力を借りて大きく育っていく。育ったあとは、自分で養分を得て、葉をつける。葉は大きく育って、周りの力になる。影を作ったり、雨を凌いだり、様々な影響を与えて、与え続けると幹の力が足りなくなる。だから、葉を落として、次に備えるのだ。
人もきっと同じであると思う。でも、その落葉樹人生を選択するのはきっと大きなパワーがいる。葉を落とす作業を選べるかどうかだから。
人間関係も、断捨離も、意見を言うことも、考えることも、落葉樹人生の1歩だ。でもそれらは、覚悟がいるし、やらなくても別に困りはしないと思う。しんどいときは来るかもだけれど。
外国の舗装された道が、ドロドロに溶けたというニュースを見た。日本で作られる道路と違う素材だから、夏の暑さに耐えられなかったそうだ。
日本の道路が、溶けることはそうない。私は、どっちなんだろう。
日本だといい。
冷たい空気を肺に含むと、一緒に金木犀の香りを吸い込んだ。
寒い季節に外に出る、割と嫌な人が多いだろうけど、私はこっちを選ぶ。
少しの厚着で、とても豊かに時間がすぎる気がするから。
使われ続けた道は、いつしかガタガタと使いにくくなるけれど。
葉っぱが覆い隠した道の表面が見え隠れするくらいに人が歩いてくれる道ならば、私はきっとその方がいいと思うのだ。
儚く散った落ち葉の道を私は歩いて家へもどる、道を踏みしめて、ゆっくりとじっくりと道を歩いていく。

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