… … …(記事全文3,117文字)「秀吉再考 後編」(倉山満著・1650円・ワニブックス)
「勝てるはずのない強敵の光秀に秀吉がたまたま勝った」
信長が死ぬ30分前まで息子の信忠が裏切っても光秀が裏切るはずがない、と思い込むほど信頼しきっていたようです。これは『信長公記』の作者の太田牛一が逃げ延びた女中たちにインタビューして記録しているからです。
「人質を受けていた光秀の母を死に追いやった」「家康への料理の出し方がまずかったので小姓の森蘭丸に殴らせた」等々、さまざまな説がありますが、こんなことで慎重な光秀が謀反を起こすことはないでしょう。
そもそも謀反は戦国時代では当たり前のことです。主君と家来はたまたまのめぐり合わせ。いつでも寝首をかくかかれる緊張感の中で生きているのです。
秀吉が城持ち大名になるのは、浅井長政が滅んだ天正2年1574年。それまでは信長軍団の兵隊として命令に従いあっちこっちに出張るだけ。家臣をあちこち回して使えるのが信長の強さです。



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