… … …(記事全文2,095文字)私は少年時代にある病気で電車通学が出来なくなり、高校を中退している。
中学校も酷い差別を受けてほとんど登校していない。(東京から大阪のガラの悪い町に引っ越ししたため。東京の私は孤立)
親はもちろん、私を「バカ、アホ」と言いながら育ててきた。
その親の言葉にはまったく無感情で、「ああ、そうですか」と思いながら、将来の夢ばかりを見ていた。
その少年時代に「学歴が無くても大丈夫」という自信があり、それは高学歴な上に丸ごと昭和人間の怖い父親も畏怖するほどで、私には劣等感がまったくなく、奇妙なプライドもいらない。
恋人は皆、私よりも学歴は上になるわけだが、そこに触れてバカにした女子は一人もいない。
三十歳の時に、焦って始めた競馬の予想コラムがヒットした。
すぐに出版化し、それが競馬本のジャンルでベストセラーになった。
私の最初の小成功だった。
その時点で、サラリーマンよりも高収入になったのだ。
そしてそのお金で始めたのが、『写真の仕事』だった。
三十歳から始めた写真の仕事は失敗に終わった。
四十歳くらいの時に、モデルに恵まれなくなった事で投げ出した。
代わりに、自己啓発の本や恋愛本、短編小説、哲学的なエッセイ集などが累計270万部にもなるベストセラーになり、二回目の成功を得た。
億を稼いだが、しかし、写真の赤字は五百万円以上。
それを放置したままで死んでいくのだろうか。
あの『喜劇』のコロナ禍。
悲劇ではなく喜劇。
私が新刊を出したまさに翌月に、全国の書店が閉まったのだ。
「え?こんなに弱いウイルスで? 致死率見ろよ、バカ野郎!」
作家たちの新刊はすべて返本になり、私の新刊を頼りにしていた版元は倒産のピンチになった。
安倍晋三元総理が緊急事態宣言を出したのだ。彼は好きな政治家だったが、二回目の総理になってから、彼の数々の政策、新しい法案、それの成立に私は死ぬほど苦しめられた。
途方に暮れていた私は、たまたま目の前に美脚美人が現れたのを見て、
「あ、カメラは?」
と、閃いた。
「あの才能と赤字は放置しておくのか」
私はカメラ店に走った。コロナ禍の中、マスクもつけずに。