□□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ □■ 天木直人のメールマガジン2016年1月12日第31号 ■ ============================================================== 日韓合意の背景を見事に喝破した五味洋治編集委員 ============================================================== きょう1月12日の東京新聞「こちら編集委員室」で、五味洋治編集委員が「『力の外交』の限界」と題して、極めて重要な指摘をしていた。 すなわち慰安婦問題に関する今回の日韓合意と、1965年の日韓国交正常化の合意(日韓基本条約および付随協定)の背景は、「力の外交」の限界を示す点で全く同じ構図であると喝破している。 あの時も今回も、日本は本気で過去の反省を行わず、力で押し切った。 50年前の日韓合意においては、安保と経済協力を優先した結果、日韓の不幸な歴史の清算についての言及は条約文の中にはひとこともなく、韓国内で激しい反対運動が起きた。 今回の合意では、たしかに見せかけのおわびと反省は表明したが、「問題は1965年に解決済み」との高圧的な姿勢は変えず、安保と経済(慰安婦基金)を優先して「最終的かつ不可逆的」として、やはり韓国内で反発が起きた。 そう書いた上で、五味編集委員はこう締めくくっている。 力の外交を基調とする限り、(安倍首相が強調する)「未来志向の日韓新時代」が来るとは思えない。当時(1965年)も今も、欠けているのは「相手の心に直接訴える行動」ではなかったのかと。 五味編集委員の記事はここで終わっている。 しかし、五味編集委員の記事にはもっと深い歴史的意味がある。 なぜ自民党政権(民主党政権になってもそうだったが)は「1965年に解決済み」にこだわったのか。 なぜ朴大統領は、1965年の合意の見直しまで踏み込もうとせず、最後は、未来永劫、二度とこの問題は持ち出さないと言わんばかりの、不可逆的合意を受け入れたのか。 それは自民党政権と父親の朴正熙大統領の「密約」だった日韓国交正常化交渉に触れたくなかったからだ。 日韓基本条約が締結されたのは佐藤内閣であるが、その交渉は14年間続き、朴正熙大統領と岸信介元首相の緊密な関係は周知の事実だ。 なによりも忘れてならないのは朴大統領の軍事政権下の韓国には、民主政治はなかったということだ。 当時の日韓関係の不透明さが国会で追及された時、私は一番下っ端の担当官として膨大な交渉記録の一端に触れたことがあった。 そのあまりの政治決着ぶりに慄然としたことを覚えている。 そして、当時も今も、陰の主役は極東の安全保障政策を最優先する米国だった。 こう考えて行く時、戦後の日韓関係は、米国の命令で動く非民主的な日韓関係にほかならない。 今度の不可逆的な合意は、50年前の日合意のパンドラの箱を開けてはならないと言う日米韓の指導者の思惑が見事に一致した結果に違いない。 しかし、当時と今とは決定的な違いがある。 それは民主化と情報公開が進んでいるということだ。 今度の日韓合意が、このまま不可逆的合意で未来永劫封印されてしまうのだろうか。 日韓双方の国民の民主度が試されている(了) ──────────────────────────────── 購読・配信・課金などのお問合せやトラブルは、 メルマガ配信会社フーミー info@foomii.com までご連絡ください。 ──────────────────────────────── 編集・発行:天木直人 登録/配信中止はこちら:https://foomii.com/mypage/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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天木直人(元外交官・作家)