□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ □■ 天木直人のメールマガジン2010年11月16日発行第206号 ■ =============================================================== 日中関係の立て直しは「反覇権主義」の原点に戻る事である =============================================================== 11月12日の産経新聞「正論」で防衛大学校の名誉教授である佐瀬 昌盛氏が素晴らしい指摘をしていた。 尖閣問題で日中関係が根底から揺れている時に、このような指摘を目に した事を嬉しく思う。大いに勉強になった。 それはどういう指摘か。 菅首相が繰り返し口にする「戦略的互恵関係」という日中両国の合意は、 日中関係史上の重要な一里塚ではあるが、決して原点ではない。 原点は歴代政権が苦労して積み重ねた基本文書にある。いまこそ歴史に 学ぶ時だ。 そういう指摘である。 そしてその基本文書にある合意とは「反覇権主義」であると言う。 中国が大国になってその政治・軍事力を誇示しようとしている今こそ、 日本は中国に対し、先達の日中双方の政治家たちの英知で合意された日中関係 の原則である「反覇権主義」に立ち返ろうと、菅首相は胡錦涛主席に主張すべ きであると言うのだ。 戦後の日中関係史を築いた三つの大きな基本文書がある。 それは(1)日中国交正常化を謳った1972年9月の共同声明(2)78 年8月の日中平和友好条約(3)98年11月の日中共同宣言、である。 突如として「戦略的互恵関係」を言い出した2008年5月の日中共同声明 が、これらに加わる4番目の文書となる。わずか2年前だ。 そしてこれら基本文書の中でも両国が批准した条約は1978年の日中平和 友好条約のみである。 戦後の日中関係の「原点」を求めるならこの条約しかないと佐瀬教授は言う。 そしてその日中平和友好条約の際立った特徴が反覇権条項と呼ばれる第2条 である。 その内容は次の通りである。 「両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいず れの地域においても覇権を求めるべきではなく、またこのような覇権を確立しよ うとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する」 何と言う素晴らしい文章ではないか。 佐瀬教授もこう書いて絶賛している。 「こんな規定を盛った国家間条約は私の知る限り世界に二つとない」、と。 実はこの「反覇権」という言葉は、72年の共同声明にも、98年の日中 共同宣言にも盛り込まれていた。 そしてこの文言を盛り込むには中国側との困難な交渉があった。 当時の中国は「ソ連社会主義憎し」の念に燃え、「ソ連の覇権主義に反対」 することを主張し日本に同調させようとした。 時の福田赳夫政権はソ連の反発の中で、名指しのソ連批判を避けた形で 反覇権条項を受け入れ中国側との合意にこぎつけた。 ところが日中間の4番目の基本文書となった2008年5月の日中共同声明 からは「反覇権」という言葉が消え、突如として「戦略的互恵関係」という 言葉が現れた。 佐瀬氏はその背景については何も触れていない。 しかしその背景を、その発案者であるといわれている谷内前外務次官が最近の 新聞紙上で告白していた。私はそれを見逃さなかった。 すなわち当時の中国外交部副部長であった戴秉国(たい へいこくー現国務院 国務委員・外交担当)が「WIN-WIN」の関係で行こうといってきた。 それを翻訳する適当な言葉が見つからなかったので互恵的戦略関係とした、と。 これが真相だ。 当時は小泉首相が壊した日中関係を修復しようと日本は必死だった。 東シナ海ガス田開発や中国ギョーザ問題で日中関係はギクシャクしていた。 時の安倍、福田、麻生政権は日中関係を元に戻そうと腐心した。 そのような中で中国主導でつくられた言葉の遊びによる日中関係の修復が 戦略的互恵関係であった、ということだ。 今日の日本の対中外交の劣勢はその時から始まった。 佐瀬教授は言う。戦略的互恵関係を追及するのもいい。しかし、日中関係を 安定的に発展させ、未来を切り開く政治的基礎は過去の日米政治家が合意した 「反覇権主義」である、と。 中国が言い出したその言葉を、今こそ中国の覇権主義を戒める原則として 中国側に再確認させるべき時だと。 何もわかっていない菅首相。 歴史に学ばずにその場限りの外交を繰り返す今の劣化した外務官僚。 彼らに聞かせたい言葉である。 了
天木直人のメールマガジン ― 反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説
天木直人(元外交官・作家)