□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ □■ 天木直人のメールマガジン 2010年8月17日発行 第58号 ■ =============================================================== 昭和天皇の責任を正面から問うた注目すべき二つの記事 ================================================================ 鎮魂と平和の誓いばかりを強調する終戦記念日特集記事であるが、その中で も注目すべき記事はあった。それを二つ紹介したい。 一つは8月15日の東京新聞の社説「歴史は沖縄から変わる」である。 その社説は、豊下楢彦関西学院大学教授の著書「昭和天皇・マッカーサー 会見」(岩波現代文庫)を引用した上で、米軍駐留を最重視した日米安全保障 体制の構築は、昭和天皇の至上命令であったと正面から書いた。 日米安保体制は天皇を守るための国体であったとまで言い切った。 私の知る限りでは大手新聞で、しかも社説で、ここまで書いたものはない。 豊下教授はさぞかし感涙に咽んだ事だろう。彼の業績がやっと報われたのだ。 私が「さらば日米同盟」(講談社)の中で最も強調したかった一つも、 まさにこの歴史的事実であった。 この認識なくしては、なぜ戦後の日本がかくも対米従属であるかを理解でき ない。つまり対米従属は戦後日本の国体であったという事なのだ。 もう一つの記事は週刊朝日8月20日号に見つけた「東條英機の米国人弁護士 が抗議した『米国の不正』」という記事である。 これは元英国ロイター通信特派員・徳本栄一郎氏による渾身のレポートである。 その中で徳本氏は米英の公文書館で占領期の文書を読み解き、東條英機の元 米国弁護人、ジョージ・ブルーウェット氏の次の言葉を見つけ紹介している。 「(東京裁判は)欧米の法律伝統から逸脱しただけではなく、戦勝国と敗戦国 の指導者に明白なダブル・スタンダードを適用した・・・」 やはり東京裁判は勝者の裁きであり、不正な裁きであったということだ。 東京裁判を批判する日本の右翼的な立場の人たちが喜びそうな記事だ。 しかしそのような右翼的な立場の人たちが、同時に正しく認識しなければ ならないもう一つの史実を、この徳本リポートは正面から提起している。 このほうが「勝者の裁き」よりはるかに深刻な史実なのである。 すなわち、その不正な東京裁判が、決して勝者の裁判ではなく、天皇の戦争 責任を回避して天皇制を守る事を最優先した日本の支配者との「合作」だった という史実である。 この事を徳本氏は、まず豊田隈雄元海軍大佐著の「戦争裁判余禄」の中から、 マッカーサーの軍事秘書ボナー・フェラーズと米内光政元首相の次のやり取りを 紹介して明らかにする。 フェラーズ 「(昭和天皇免責の)対策としては・・・裁判において東條に全 責任を負担せしめる様にすることだ。即ち東條に次のことを言はせて貰い度い。 『開戦前の御前会議に於いて仮令(たとえ)陛下が対米戦争に反対せられても 自分は強引に戦争迄持って行く腹を決めて居た』と」 米内 「全く同感です。東條(元首相)と嶋田(元海相)に全責任を とらすことが陛下を無罪にする為の最善の方法と思ひます」 そして徳本氏はこれを裏付ける文書をバージニア州ノーフォークのマッカー サー記念館で保管されているフェラーズの部下ジョン・アンダートン少佐が マッカーサーに提出した覚書の中に見つけるのである。 ・・・(天皇に)詐欺、威嚇または脅迫が行なわれていたと証明する事実を 収集する。 上記の事実が抗弁を十分に立証するに足る物であれば、天皇が戦争犯罪人 として訴追されるのを阻止すべく積極的措置を講じる・・・(45年10月 1日、アンダートン覚書) これを徳本氏は次のように解説する。 「要は、天皇は東條に威嚇され開戦詔書に署名した。自らの意思ではなかった と証明せよとのアドバイスだ。 半ば強引な裁判には日米共通の狙いがあったのだった」、と。 もはやこれ以上書き続ける必要はないだろう。 我々は一つでも多くの史実を正しく知った上で自分の意見を持つべきだ。 そしてそれに基づいてこの国の指導者たちに正しい政策を行なうように 要求し、監視していくべきだ。 押し付けられる情報を鵜呑みにして間違ってはいけない。 私がメルマガを書き続ける衝動を抑えられない理由もそこにある。 了
天木直人のメールマガジン ― 反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説
天木直人(元外交官・作家)