━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「植草一秀の『知られざる真実』」 2012/02/17 次期日銀総裁に求められる必須の条件 第140号 ──────────────────────────────────── 日銀は2月14日の金融政策決定会合で、事実上のインフレ目標と追加の金 融緩和を決めた。株式市場は素直に好感して大幅高を演じたが、市場の評価は 必ずしも高いものではない。 長期化するデフレに対して、政策運営関係者からは日銀の積極的な政策運営 を求める声が強い。 しかし、これらの批判は必ずしも正鵠を射るものでない。 日銀が誘導する短期金利はほぼゼロに近く、短期金利の引き下げは限界に達 している。1999年以来、量的金融緩和政策が論議され、実際に日銀は量的 金融緩和政策を実行してきたが、必ずしもその成果は上がってきていない。 金融政策の論議に精通していない国会議員などが、だれの差し金であるか、 金融政策を批判する論調を強めてきたが、客観的に評価して、日銀は十分に行 動してきたし、日銀に過度の役割を期待すること自体に無理がある。 日銀批判の源泉は財務省にある。そもそも、2000年ころから頻繁に使わ れ始めってきた「デフレ」なる言葉も、日本経済低迷の原因を日銀に押しつける 狙いで流布されてきた言葉であると考えられる。 「デフレ」の第一義は「物価下落」である。「物価」を所管する政策当局は日銀で あり、「デフレ」なる言葉で経済の低迷を表現することにより、その責任を日銀 に向かわしめるとの深謀が存在してきたことを否定できない。 そもそも日本が直面してきた「デフレ」の内実は、単なる物価下落ではなく、 経済の深刻な低迷、金融市場の不安定性にその中核がある。 「デフレ」を深刻化させてきた主因は、金融政策ではなく財政政策である。バ ブル崩壊が始動して以来、日本経済は何度か本格浮上のチャンスを得てきた。 1996年、2000年など、株価も上昇し、自律的な巡航速度での経済成長 が期待できる局面を得た。 ところが、この重要な景気局面で政策運営を誤り、日本経済を撃墜、再悪化 させてきたのは日本銀行ではなく、財務省であった。 1997年に強行した超デフレ政策、2000-2001年に強行実施された 森政権、小泉政権の超デフレ政策が、浮上しかけた日本経済を再撃墜してしま ったのである。 この政策運営に対する客観的評価、事実に即した反省、教訓を得る姿勢がな ければ、同じ過ちを再度繰り返すことになる。… … …(記事全文5,704文字)
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植草一秀(政治経済学者)