□■□■ 【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ □■ 天木直人のメールマガジン 2010年3月17日発行 第77号 ■ ───────────────────────────── 日本には憲法9条を本気で守ろうとする首相は現れないのか ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 3月13日の産経新聞で湯浅博特別記者が興味あるエピソードを教えてくれた。 連載記事「歴史に消えた参謀 吉田茂と辰巳栄一」の中で、「軽武装」論者であった 吉田茂首相がその晩年には、軍事強化論者に心変わりしていたというのだ。 軍人嫌いで有名だった吉田茂首相には、たった一人心を許した辰巳栄一という陸軍中将が いたという。 その辰巳氏が、吉田茂首相が政界を退いて久しい1964年秋に大磯に吉田邸を訪ねた時、 吉田首相は辰巳氏にこう言ったという。 「・・・今となってみれば、国防問題について深く反省している。日本が今日のように 国力が充実した独立国家となったからには、国際的に見ても国の面目上軍備を持つことは 必要である・・・」 辰巳氏は耳を疑ったという。首相時代にあれほど日本の再軍備を嫌った吉田首相が、その 必要性をはじめて口にしたからだ。 吉田首相はたびたび憲法改正を促す辰巳氏の建言に、「一旦制定された以上、5年や10年で そうやすやすと改正されるものではない」と怒気を強めて否定したという。 その吉田首相がいま、決して曲げることのなかった自らの「経済優先・軽武装」路線を 見事に翻したというのだ。 心変わりの首相といえばもう一人いる。3月9日に公表された「密約」に関する外務省の 機密文書の中に、佐藤栄作首相の、「核持込を禁じた事は間違いだった」という発言が 見つかったという。 すなわち、1969年10月7日付の外務省アメリカ局長の「総理に対する報告」と題した 機密文書によると、佐藤栄作首相は外務次官らと沖縄返還交渉について打ち合わせた際、 非核三原則の「持ち込ませず」は誤りであったと反省していたという。 因みに佐藤首相は、1969年1月14日付の米国宛公電で「非核三原則はナンセンスだ」と 発言していた事が、米国の公文書で明らかにされている。 いわゆる非核三原則は、1967年12月11日の衆院予算委員会で、日本社会党の成田知巳 委員長の質問に対し、佐藤栄作首相が、「私どもは核の三原則、(すなわち)核を製造せず、 核を持たない、核持ち込みを許さない、これははっきり言っている」と答弁した事が最初と 言われている。 以来1976年の衆参外務委員会における非核三原則決議(4月27日、および5月21日)や、 1978年4月3日の参院予算委員会における真田内閣法制局長官の「国是とも言うべき非核三原則」 答弁などを経て、非核三原則は歴代のすべての首相が公言するほどに確立されていった。 その非核三原則の生みの親とも言える佐藤首相が、国会答弁から二年もたたないうちに、 それは誤りだった、と心変わりしていたのだ。 非核三原則を唱えた事で佐藤首相がノーベル平和賞を受賞したのが1974年であることを考える と佐藤首相は自らを偽ってノーベル平和賞を受賞していたということになる。 それにしても、軽武装論で有名な吉田首相といい、非核三原則でノーベル平和賞を受賞した佐藤首相 といい、戦後最長の総理在職一位、二位を競った日本の代表的な総理二人が、その安全保障政策に おいてかくも心変わりしていたということは驚きだ。しかも軍事力強化の方向において。 本気で憲法9条を守ろうとした首相は戦後日本にはいなかったのか。 本気で憲法9条を守ると国民に公言する総理は、これからの日本に現れる事はないのだろうか。 日本の将来を考える際の深刻な問いかけである。 _________ 天木直人のメールマガジン 2010年3月17日発行 第77号 おしらせ 3月15日から高知新聞に6日間にわたって私の寄稿が連載されています。 日本のパレスチナ政策に対する渾身の批判です。それはまた日本の対米従属外交批判でも あります。 詳しくは高知新聞(088-822-2111) 天野弘幹記者に連絡下さい。

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