日本の人権問題について考えたい。人権の語の語の意味をネットで繙くと、次のように法務省が教えてくれる。 「すべての人々が生命と自由を確保し、それぞれの幸福を追求する権利」あるいは「人間が人間らしく生きる権利で、生まれながらに持っている権利」であって、だれにとっても大切なもの、日常の思いやりの心によって守られなければならないものです。 小学校低学年向けの教育のようで抽象的な説明だ。Wiki の方が分かりやすい。最近、よく人権について耳にする機会が多い。だが、その意味は以前と較べてずいぶん中身が変わっているように思う。今回の私の不満と意見は、米軍基地から染み出したコロナ感染によって、被害に苛まれて塗炭の苦しみを受けている沖縄の問題が、日本の人権問題として議論されず、認識されていないという問題である。人権侵害が見過ごされている。 最近の左翼リベラルは、二言目には人権を言い、差別の問題を提起する。口を酸っぱくして、いつもいつも人権と差別を言い上げ、世間一般に訓導と説教を繰り返し、日本社会の不全と遅れを批判している。だが、その中身は、常に判で押したように、ジェンダー、マイノリティ、LGBT、、の多様性の系統であり、いわゆるアイデンティティ・ポリティックスの範疇と言説に関わるものだ。例外はない。国際人権法の大学教授の谷口真由美を念頭に置くとイメージが容易だろう。なぜそればかりがフォーカスされ、最優先に置かれるのだろうと不思議に思われる。 日本国憲法の第三章には基本的人権のカタログが列記されているが、その条文には、ジェンダー、マイノリティ、LGBTの語は一語もなく、アイデンティティ・ポリティックスの思想や主張もない。その契機はない。人権は普遍的な考え方のはずで、時代が変わっても概念が変わるはずはないのだけれど、いま左翼リベラルが口煩く唱える「人権」は、日本国憲法が起草され発布されたときの人権とは明らかに異質なものだ。違和感を覚えるのを抑えられない。… … …(記事全文3,125文字)
世に倦む日日
田中宏和(ブログ「世に倦む日日」執筆者)