大晦日の夜のNHKの7時のニュースで、新宿でのNPOによる食料品配給の様子を一瞬だけ流していた。30秒程度の短い映像で、ほとんど説明はなかった。年の瀬の街の風景の一コマが撮られた感じで、その年の最後の7時のニュースに差し挟む小さな話題として紹介していた。通常だと、この件がNHKのニュース番組で放送されるときは、NPO職員のコメントが入り、配給の列に並ばざるを得ない困窮者の声が顔を隠して訴えられ、悪化する深刻な状況が伝えられ、見る者が身につまされる感覚を持つ報道に仕上がっていた。 だが、この大晦日の絵にはその報道要素がなく、単に街の風景の一つを淡々と切り取っただけの効果で、御徒町アメ横の賑わいとか、初詣での準備をする湯島天神などと同列に、プレーンな編集で静態的なカットとして構成されていた。厳しい社会問題としての性格が削ぎ落とされ、いわば風物詩の存在になっていたのである。その真実に気づかされ、NHKの政治的意図に愕然とさせられた。つまり、当世の当たり前の情景として 食料配給 が意味づけられたということだ。 困窮者への食料配給の活動と実態への意味づけが変わっている。簡単に言えば、これまでのNHKの報道では、それは起きてはならない異常な事態であり、残念で悲しいこの国の不具合であり、社会矛盾の発生と拡大であり、皆の力で制止し解決し解消して行かなくてはいけない問題だった。だが、大晦日の映像では、そうした視点と契機が消えていて、いつもの街の風景として切り取られ、人が見て倫理的な痛痒をもよおすところの、忌むべき社会病理ではなくなっていた。 要するに、NHKの認識と視角が変わり、食料配給は異常な問題ではなくなったのだ。東京の日常の一つであり、普通に行われている街のイベントであり、一般に定着して今後も続くものなのだ。食料を配給する者がいて、それを受け取る者がいて、それは当たり前の光景で、資本主義社会の常態の断面であり、それを見て特に心を悩ます必要はないのである。マインドセットを切り換えよう、意味づけを変えようと、そうNHKは国民にメッセージ発信している。エバンジェリズム(洗脳)している。維新が勝利した選挙結果もNHKの報道姿勢に影響している。… … …(記事全文3,461文字)
世に倦む日日
田中宏和(ブログ「世に倦む日日」執筆者)