(2012年7月18日のブログ記事を再掲します。寂聴の勇姿が懐かしく印象に残るスピーチでした)。来る日も来る日もデモが続く。It's been a hard Demo Days night. 7/16の「さようなら原発10万人集会」は、炎暑の中で行われ、座らされたブルーシートの上は灼熱地獄だった。今、思い出しても、あの場所での3時間は拷問の苦痛であり、同じことをもう一度やるかと言われれば、正直に首を横に振ってしまう。高齢者はどれほど身体の負担が大きかったことだろう。小さな子ども連れの参加者も多くいたが、12:30-14:30の間は木陰で休んでいたのだろうか。 心配になる。率直に言って、私にとってこの経験はシーア派が自らの肉体を鎖で鞭打つアシュラーの苦行であり、ここまでの犠牲を捧げたからには、それと引き換えに原発停止の果実を得なければ割が合わないと弱音を吐く。粘り強く末長く何度でもという気分にはなれない。午前11時15分、原宿駅から会場へ続く道路は人で埋まり、渋滞して一歩も前へ進めなくなっていた。午前11時40分、第1ステージのブルーシートの前方に場所を見つけて着座したが、それにはずいぶん勇気が要った。 フライパンのように焼けたビニール、さらに暑気を強くしてジリジリと皮膚を焦がす太陽光線、だんだん周囲が埋まって人と人の密着で増していく熱気。開会まで1時間以上待たなくてはいけない。後ろで、高齢者の一団が四方山話をしていて、それに耳を傾けることで何とか時間を耐え凌ぐことができた。「この間、読売新聞の販売員が訪販に来てさぁ、俺は、そんなもんは要りませんと言って追い返そうとしたんだが、販売員が、それじゃ新聞はどこを取っていますかと聴くんだよ。ちょっと前から東京新聞に変えたよと言ってやったら、読売の男が、へえ-、最近、そういう人が多いですね。東京新聞に変えたって言う人」。 そんな話をしていた。午後0::15から前座の小室等のライブがスタート。永六輔が車椅子に乗って駆けつけてきた。会場を驚かせた永六輔の飛び入り参加については、マスコミでもネットでも情報が少ない。病気が快復したのか、一時と較べて喋りの具合は元に戻ったが、車椅子の生活になっているとは知らなかった。午後0時55分から開会、呼びかけ人の挨拶が始まると、高い上空で舞っていたヘリ5機が次々と会場に接近し、つんざくような轟音に包まれた。… … …(記事全文4,456文字)
世に倦む日日
田中宏和(ブログ「世に倦む日日」執筆者)