これまで瀬戸内寂聴の本は一冊も読んだことがない。訃報の折、平野啓一郎がネットに公開した寂聴との対談動画を見て、伊藤野枝の伝記小説である『美は乱調にあり』を読んでみた。1966年に文藝春秋の単行本として出た本が2017年に岩波現代文庫となって復刊されている。寂聴が94歳のときだ。その「はじめに」でこう語っている。「四百冊を超えているらしい自作の中で、ぜひ、今も読んでもらいたい本をひとつあげよと云われたら、迷いなく即座に、『美は乱調にあり』『階調は偽りなり』と答えるであろう」。寂聴文学の代表作だということだ。 「この小説を書いて、『青春は恋と革命だ』という考えが私の内にしっかりと根を下ろした」という若者向けの遺言的メッセージも付されている。読後の率直な感想は、期待どおりの面白さだった。『美は乱調にあり』は、神近市子(当時28歳)が大杉栄への刃傷沙汰に及ぶ1916年(野枝21歳)の日陰茶屋事件で終わっていて、そこから甘粕事件に及ぶ7年間が『階調は偽りなり』に収められている。後半を読むのはこれからで、物語の展開が愉しみだ。 現代日本の思想的指導者だった寂聴の小説作品はどんなものだろうと、期待と不安が半ばだったが、文章はとても読みやすく、構成も叙述もオーソドックスで、読者の関心を離さず、読み始めるとぐいぐい惹き付けて一気に巻末まで進ませる。映画にしたい内容だ。期待どおりだったのは、男女の情愛に関わる描写部分の妙で、さすがに達人の寂聴だと納得させられた。津田英学塾の俊秀で、インテリで聡明この上なく、誰もが才能を認める最先端のキャリアウーマンだった市子が、短刀を抜いて殺人未遂という狂気と破滅に追い詰められる。 この四角関係の凄絶なクライマックスと葛藤の描写は、やはり読む者を釘づけにする。何が野枝と市子を分けたのか。なぜ野枝は大杉を奪い取ることができたのか。野枝が四角関係に割り込んで勝利を得ると自惚れた自信の根拠は何だったのか。寂聴は明示的には書いてないけれど、どうやら肉体と官能の資質だと想像させる示唆が見え隠れしている。オスたる男のアホらしさと、しかしその奪取と確保に人生を賭けて情熱的に狂奔する女の真実が描かれていて重く迫る。寂聴の世界に興奮し傾倒させられる。… … …(記事全文3,677文字)
世に倦む日日
田中宏和(ブログ「世に倦む日日」執筆者)