「改革なくして成長なし」のフレーズは、小泉構造改革で訴えられた主張である。今回、その言葉を担いで選挙戦を戦ったのは維新だった。そして維新が選挙の勝利者となった。猛烈な反動が起きている。われわれは、この現象と事態をどう考えるべきなのだろうか。どのように政治学的に整理できるのだろうか。選挙前、岸田文雄は新自由主義からの転換を言挙げし、経済政策を分配重視の方向に切り換える旨を明言した。その磁場に惹き付けられるように、野党が次々と積極的な分配策を公約に掲げ、選挙は分配策の具体案の競争の観を呈し、新自由主義からの決別が公論として固まったように思われた。 それに対して待ったをかけたのがマスコミと維新であり、バラマキ批判のキャンペーンであり、財政健全化を口実にした従来の竹中路線の擁護の動きである。結果的に票と議席の変動を見れば、マスコミが勝利し、維新が勝利し、ボトムアップの分配策には国民の支持が集まらなかったという残念な現実が横たわっている。マスコミが勝利の凱歌を上げ、その総括を刷り込む日々が続いている。 客観的に見て、この選挙は、新自由主義と脱新自由主義のイデオロギーの戦いだった。二つの陣営に分かれてのバトルであり、新自由主義の本営に維新とマスコミが幔幕を張り、脱新自由主義の側に野党勢が並び立ち、そして、脱新自由主義寄りの中間的位置に岸田文雄が配して不安定に揺動するという構図だった。選挙戦が終わり、敗残兵狩りが始まり、季節は一気に真冬の厳寒のときに逆戻りした感がある。ここでどうしても考えてしまうのは、なぜ大阪の有権者は維新を選んだのかという問題だ。 確かにマスコミはバラマキ批判で言論空間を埋め、洗脳工作のシャワー放射に余念がなかったが、世間の一般的空気は、脱新自由主義の流れが支配的で、逆戻りすることはないと通念させるものだった。米バイデン政権の動向も背中を押す環境要因となっていて、まさか、日本の選挙で、小泉改革のフレーズを唱える松井一郎が支持されて議席を伸ばすなどあり得ない想定図だったと言えよう。私の念頭に社会科学的解答として浮かぶキーワードは、大塚久雄の前期的商人資本であり、前期的資本主義の概念と講説である。… … …(記事全文4,073文字)
世に倦む日日
田中宏和(ブログ「世に倦む日日」執筆者)