第5波の感染流行が沈静化している。松本哲哉の「解説」では、なぜ今回、感染者数が急に減る傾向になったのか、明確な理由は分からないそうだ。繁華街や歓楽街の人流が減ったわけでもなく、ワクチンの接種率=供給量が急激に増えたわけでもない。松本哲哉の正直なコメントは、国民一般の感覚を代弁していると言えるだろう。まさに自然災害的に、まるで台風の襲来と一過のように、インビジブルハンドの操る業で、8月下旬をピークにして第5波のカーブは下降線となり、感染禍の山脈は麓に達した絵になりつつある。 8月5日のブログで、「まるでナチス侵攻直前のベルギーのユダヤ人みたいな境遇だ。おそらく1か月半後には事態は好転している。だが、9月中旬までの間、感染せずに無事いられるかどうか。感染したときはどう生き延びるか、個々が一日一日死力を尽くさないといけない」と不安を書いた。何とか感染せずにここまでの日を送って、人心地ついた気分になっている。第5波の時間軸の見通しも偶然ながら当たった。ひなたクリニックの患者のような多くの不幸な犠牲を出し、運良く私は収容所行きの列車に乗らなかった。 少し時間を遡って、インドで新変異種による感染爆発が起こったのは4月から5月のことだ。ピークは5月6日である。これがデルタ株の流行で、特にアジア諸国で猛威をふるい、日本に伝播して第5波の感染爆発を惹き起こした。第5波のピークは東京では8月13日である。インドの凄絶な流行から3か月後。振り返って、このとき、日本もちょうど緩い第4波の渦中にあったのだけれど、インドの悲惨な地獄状況は対岸の火事だった。 インドのニュースで、家族のために酸素ボンベを買う列に並ぶ人の群れや、ボンベの入手をめぐって喧嘩沙汰になる騒ぎを見たり、ガンジス河の畔で大量の遺体を焼く映像を見たりして気の毒に思ったが、まさか、3か月後にほぼ同じ惨状が日本を襲うとは思わなかった。インドで起きた悲劇は7月にインドネシアで再現されている。ピークは7月15日。インドネシアもデルタ株の感染爆発に制御不能になり、医療崩壊を起こし、現地在住の日本人が14人死亡した。だが、このときでも、われわれの意識は他人事だった事実を認めなくてはいけない。日本が1か月後にどうなるかを正確に予測していた者はいなかった。… … …(記事全文4,062文字)
世に倦む日日
田中宏和(ブログ「世に倦む日日」執筆者)