一週間続いた菅義意の失脚ドラマ。先週(8/30-9/3)は刻一刻に集中して神経が興奮しっぱなしで、幕切れと同時にぐったり疲労して週末を迎えた。マスコミ報道は次の総裁レースに目先を変え、国民の関心をそこに惹き付け、菅政権の崩壊と末路について多くを語らない。あるいは、一週間の権力闘争の舞台裏のみに焦点を当て、ミクロ的な政局の分析に興じている。マクロ的な観点からの意味づけに言葉をあてがう解説がない。 本来、この政治を説明するに当たって最も本質的な論点は、東京五輪をめぐる因果応報という整理と総括だろう。事前の世論調査では8割の国民が「中止・延期」を求めていた。国民世論の8割の反対を押し切り、緊急事態宣言を発するほどの感染状況だったのに、無理やり五輪開催を強行したのは、大会を成功させて国民のテンションを盛り上げ、直後の解散総選挙を勝利へ導こうと図ったからに他ならない。政権の浮揚と維持のための五輪強行突入だった。結局、感染拡大は制御不能の感染爆発のステージとなり、政権支持率の劇落を招き、万策尽きて退陣に追い込まれた。 もし、6月の時点で賢明に、世論の反発と憂慮を正しく汲み取って、五輪開幕を柔軟に延期する判断と調整に動いていれば、第5波の感染禍はここまで巨大な山とならず、被害も小さかっただろう。したがって内閣支持率低下のカーブも緩やかで、総裁選に向けた情勢固めも波乱なく無難に進捗させられただろう。あのとき、6月の英国サミットでG7首脳を前に五輪延期を切り出し、理解と了承を得ていれば、IOCも抵抗なく引き下がったに違いない。大会運営の収拾と善処は可能だったのだ。 東京五輪の開催を、国民に妥協する姿勢で対処していれば、9月の政局で有利な条件を得ていたのは明らかだ。果たして、専門家が予測したとおり、天皇が懸念したとおり、東京五輪開催を機に感染者数は空前の規模に激増し、自宅療養中死亡者が続出する事態となった。政権にとって女神として期待して追求したものが、逆に疫病神として立ち現れて死を招く結果となった。政権を発揚させる梃子として戦略したものが、逆に桎梏に転化して没落を運命づける皮肉となった。東京五輪の弁証法のドラマとなった。… … …(記事全文3,631文字)
世に倦む日日
田中宏和(ブログ「世に倦む日日」執筆者)