予想どおり、ひなた在宅クリニックの告発動画の報道が止まった。27日(金)の報道1930と30日(日)のサンデーモーニングで若干の紹介があったが、前者は、テレ朝が先週初に放送してセンセーショナルを起こした55歳の男性の映像の使い回しであり、後者は、特に告発の意味のない平板なケースを撮ったものである。平板なケースとは、自宅療養になってもこうして訪問ドクターが往診して、容態が危険な場合は病院に入れてくれますよという、視聴者に安心感を与えるための国策映像という意味だ。 前回の記事で「弁証法」という語を用いて意味分析を試みたが、本来、ひなたの田代和馬は都の福祉保健局から依頼されて救急医療を請け負っている民間事業者である。また、撮影した動画のオンエアに当たっては、テレビ局との間に内閣官房コロナ対策推進室が介在している背景が憶測される。コロナ対策推進室の重要な任務の一つに、コロナ関連の報道コンテンツをマスコミにデリバーしてオンエアさせるということがある。例えば、富岳の不気味なシミュレーションCGなどが例として分かりやすい。 言うまでもないことだが、日本のテレビの報道局というのは、コロナ関連で独自に調査取材するということがない。すべて上から(政府から)与えられたネタのダウンロードだ。昨年は、僅かに、玉川徹などが独自に取材した情報を番組に載せていたが、今年はその要素が皆無となった。全て国民を意識操作するための国策コンテンツだけであり、コロナ対策推進室を経由した、西村康稔の手垢がついた情報ばかりである。 30日にサンモニが出したひなたの動画は、過去に登場のない新しい映像だったが、それは行政の無策や不条理を告発するものではなかった。単に現場の逼迫を伝えただけの記録で、ひなたの救護医療の活躍が紹介されただけのものである。23日(報ステ)と24日(モーニングショー)で放送された深刻なメッセージは発信されなかった。おそらく、菅義偉から西村泰稔とテレビ局幹部に鉄槌が下って、ひなたの動画報告の意味が逆戻りするパターンとなり、元の目的と性格である「安心提供の国策情報」に里帰りしたのだろう。弁証法の運動が再び旋回して、意味が元の位置に戻った。田代和馬から政府批判の告発の声が上がることは最早あるまい。… … …(記事全文3,586文字)
世に倦む日日
田中宏和(ブログ「世に倦む日日」執筆者)