3年前に国民民主党が立ち上がった頃、立憲と国民の二つの党はいずれ一つの党に再合併し、名前を民主党に戻すだろうと「予言」したことを覚えている。なぜそう直感したかというと、国民民主の議員の中に徳永エリがいて、立憲民主に所属するのが自然と思われる顔が何人も残っていたからだ。逆に、立憲民主の方にも不自然な右寄りの顔が混じっていた。一党に復する将来を予定して、党のイデオロギー性とは異傾向の議員を相互に、混合的に配置し伏在させている様子が感じ取られた。 一般の国民が率直に受け止めているように、今回の合流新党の政治は民主党の復活であり、分裂しては再結集するこの党の永久運動の一局面の姿である。飽くことなく、鉄面皮と思われるほどに、分裂と結集の反復運動を機械的に繰り返す。15日の結党大会の前に恐縮だが、2、3年以内この党がまた分裂すると予言しておこう。確信する。党の生理だから必ず分裂する。選挙で負けても分裂するし、選挙で勝って政権を取っても分裂する。定期的な離婚と再婚に個々が馴れきっていて、内面に痛痒がない。 徳永エリが国民民主の中に留まっているのを見て、ははーん、そういうことかと見当をつけた次第だが、もう一つ、山口県連はどうなっているのだろうと調べると、旧民主党の県連はそっくり国民民主の県連に移行していて、地方の党組織のリアルな実情を察することができた。この県連で幹事長を長く努めた家老格の顧問は元自治労で、現在の幹事長はその後継に当たる。県議には、市民運動出身で最左派を標榜する戸倉さんもいる。この県連の初代、太祖は平岡秀夫で、旧民主党では菅Gに属して左派リベラルの気鋭の論客だった。 県全体が峻烈な保守王国という土地柄を考えると、県連は相対的に左派色の個性だったと言えよう。その山口県連が国民民主の陣営に編成されていたのは、臨海工業地帯の製造業事業場群の労組の存在があり、連合すなわち旧同盟の影響力が強かったからに違いない。山口県には立憲民主の組織も誕生しているが、よちよち歩きの赤ちゃんの印象を否めず、他の県もほぼそのような具合で、再統一の将来を必然視していたのではないか。… … …(記事全文4,591文字)
世に倦む日日
田中宏和(ブログ「世に倦む日日」執筆者)