京都市長選での反共広告の件。まず最初に驚いたのは、しばき隊の幹部が、京都新聞に掲載された反共広告を擁護する発言を上げたことだ。野間易通は1月26日のツイートで、「『共産党市長はNO』自体は、まあいいんじゃないですか。『アベ政治にNO』とか『自公政治を終わらす』とかと同じで」と寛容な態度を示している。 木下ちがやも同じく1月26日に、「京都新聞の反共広告は『ヘイト』ではありません。こんな、敵対するものに『ヘイト』なるレッテル貼りをすることは、リベラリズムを軽視する、共産党の危うさと、世間に捉えられても仕方がありませんね」と言い、表現の自由の範囲の政治主張だとして許容、目くじらを立てて騒ぐ問題ではないと、逆に怒る左翼側を諫める論を吐いている。この二人の容認姿勢に対しては、左翼の仲間内から、特に木下ちがやに向かって反発が上がり、「ほんとにサイテー。この人には運動に関わってもらいたくないね」などという糾弾が浴びせられる展開となった。 しばき隊幹部の二人が、京都新聞に上がった角川陣営による反共広告に対して意外な寛容論 - 日和見主義 - で応じたのは、「ヘイト」の語義をめぐる解釈の問題があり、すなわち「ヘイト」は人種や民族に対する差別の意味が含まれるため、今回の広告を「ヘイト」として認識し批判するのは間違いだという主張を通そうとした延長だと察せられる。言葉の定義の問題として扱ったため、そこから対応が屈折して、この暴挙を不問に付す動機と態度が導かれている。 だが、政治学の必読の古典であるオーウェルの『1984年』を読めば、周知のとおり「2分間憎悪」の場面が描かれていて、この「2分間憎悪」の原語は "two minutes hate" である。オーウェルの "hate" の語法には民族や人種に関わる契機はなく、単に政治的イデオロギー的な敵への「憎悪」の意味で使われていて、したがって邦訳も「2分間憎悪」である。オーウェル的な意味では、今回の反共広告はプレーンに “hate" の範疇のものだと言えるだろう。… … …(記事全文2,762文字)
世に倦む日日
田中宏和(ブログ「世に倦む日日」執筆者)