中東や世界の各地で何か謀略事件が起きたとき、あるいは、反米勢力の側が不利になる怪しい情報工作が行われたとき、これはCIAの仕業ではないかと疑って声を上げると、途端に「陰謀論だあ」という拒絶と反論が返ってくる。特に左翼方面から、待ってましたとばかり反陰謀論ヒステリーが始まり、「陰謀論者」のレッテルを貼られて袋叩きの目に遭う。日本の政治空間ではそれが常態になった。 反陰謀論キャンペーンを煽る主力はしばき隊左翼であり、きわめて凶暴に、有無を言わさず「陰謀論者」の決めつけを乱発し、連呼と絶叫でTLを埋めてしまう。しばき隊にとって、CIAの工作という言説は条件反射的に陰謀論という記号と結びついていて、その武器で撃退しなければならない天敵のようだ。左翼を名乗るしばき隊が、何故にここまでCIAの暗躍を擁護し、米国を正当化するのか不思議で、その政治現象に注目していたが、解明の糸口になると思われる関連事実を発見した。 アメリカ帝国主義という言葉が消えている。批判語である「アメリカ帝国主義」が消え、その言説がこの国の政治思想の環境から蒸発していて、しばき隊左翼の脳内に痕跡がないのである。これは、ある意味で世代の問題でもあり、日本の左翼全体の転向と変節の問題でもある。われわれが学生の頃は、今から45年程前だが、大学構内の立て看には独特の書体で「米帝」の文字が踊っていて、それは主として新左翼(極左)の文化様式だったが、「米帝」を糾弾する標語や檄文が書かれていた。 例えば、京都の百万遍交差点を歩くと、南東角に必ずその単語と政治主張のオブジェを目撃することができた。そうした情景が消え、言葉も消滅し、言葉と共に言説が死に絶え、批判対象としての実体が左翼の意識から消えている。CIAはまさにアメリカ帝国主義の活動実体であり、謀略装置そのものだから、アメリカ帝国主義という概念がなくなれば、CIAに対する警戒や嫌忌がなくなり、監視の意識が途絶えるのも当然だ。… … …(記事全文2,786文字)
世に倦む日日
田中宏和(ブログ「世に倦む日日」執筆者)