40年ぶりに国連総会で緊急特別会合が開かれ、ロシアによるウクライナ侵攻を非難する決議案が採択されようとしている。テレビを見ながら、はて、こんな制度があったのかと思った。これにはP5の拒否権は使えないらしい。40年前、1982年に緊急特別会合の議題になったのはイスラエルによるゴラン高原の占領問題だったと記事にある。イスラエルに対する非難轟々だったと思われるが、どういう決議が採択されたかの情報はない。そこから40年間、この制度はなぜか封印されてきた。出番がなかった。 アメリカのイラク侵攻が起きたのは2003年の3月。19年前のちょうど今頃、NYの国連ではこの問題をめぐって侃々諤々の議論が紛糾していた。安保理で連日激しい論争が交わされ、開戦に反対する仏ロ中と、攻撃やむなしとする米英と、P5が2派に分かれて激論の火花を散らしていた。伊達男のドヴィルパンが主役に浮上、華麗な弁舌と論陣で注目と人気を集めた。なぜ、あのとき、米英以外の理事国13か国は、今回のように総会の緊急特別会合開催へ歩を進める手続きに出なかったのだろう。 3月17日にブッシュがテレビ演説で最後通牒を発し、19日夜にバグダッドにトマホークの雨を降らせた後、国連はしんとなって忽然と表舞台から消えてしまった。今回のように、侵攻が始まった後にさらに活発に動き、侵略国を糾弾して袋叩きする挙に出ることはなかった。議論は終わりになり、マスコミ報道は戦場となったイラクに焦点を移した。西側マスコミは米英多国籍軍の従軍広報となり、「正義の戦争」の戦果を発表する大本営報道部と化した。なぜ、あのときと今回で国連はこれほど違うのだろう。 何度も起きたガザ侵攻。06年、08年、14年。とりわけ記憶に残っているのは08年から09年のときである。毎日懸命にブログを書いた。イスラエルの爆撃を受け、子どもたちが殺された。イスラエルは、そこに多くの子どもがいるのを知っていながら、故意にミサイル空爆して大量殺戮した。市街に入った地上部隊が残酷に子どもを機銃で射殺した。兄弟の目の前で。何で、何で、安保理理事国は今回の手続きを使い、国連総会で虐殺を糾弾する動きに出なかったのか。総会での非難決議の政治を行わなかったのか。口惜しい。… … …(記事全文3,276文字)
世に倦む日日
田中宏和(ブログ「世に倦む日日」執筆者)