12日に放送されたサンデーモーニングで、中国政府が発表した『中国の民主』白書が取り上げられ、関口宏が口をきわめて罵倒する場面があった。白書の内容を簡単に要約してフリップに書き出し、「民主と専制とは矛盾しない。ごく少数のものを叩くのは大多数を守るためで専制の実行は民主を実現するため」と紹介、この主張に対して「よく言うよ」と呆れて一蹴、語気を荒げて毒づいていた。番組の直後にスポーツ紙がネット記事を上げて注目している。 「中国の民主」論を槍玉に上げて袋叩きする報道は、10日のTBS報道1930でも行われていて、森本敏が念入りに罵詈雑言を浴びせて貶めていた。関口宏はそれを見て予習していたのだろう。中国の言い分は常識的には納得できない言説であり、明らかな論理矛盾を狷介に認めず、現在の抑圧体制を無理に正当化する強弁に見え、唯我独尊の開き直りに聞こえる。したがってマスコミの政治評論としては、これを否定する結論を与えるのは自然な態度だろう。だが、そこに一分の理も認めず、頭から全否定して一方的に排斥し侮辱してよいかと言うと、それは違う。 中国には中国の言い分がある。持論があり正義がある。その言い分が何なのかを、一度はフラットにニュートラルに聴いて確かめる必要があるはずだ。中国側の理屈に耳を傾けて、その論理を客観的に整理・理解する必要がある。特に政治の報道や放送に携わる者は、意識して公正で慎重で抑制的な姿勢に努めないといけないだろう。関口宏がフリップに要約した「中国の民主」の論理は、簡単に言えばマルクス・レーニン主義のプロレタリア独裁の意味である。具体的に言えば、多数であるプロレタリアートが少数であるブルジョワジーを強権支配するという階級独裁のことで、この理論と思想は人民民主主義として定式化されている。 中華人民共和国の憲法第1条には、この国が「労働者階級が指導し、労働者・農民の同盟を基礎とする人民民主主義独裁の社会主義国家」であると明記されている。また、憲法前文には「人民民主主義独裁」とは「すなわちプロレタリアート独裁」であるという規定もあり、中国が20世紀の共産圏国家の原理原則をなお戴いていることが分かる。キューバもベトナムも北朝鮮も基本的に同じシステムを保持している。… … …(記事全文3,008文字)
世に倦む日日
田中宏和(ブログ「世に倦む日日」執筆者)