立憲民主党はなぜコロナ対策でメイクセンスな動き方をしないのか。国民の前で、野党の方が国民の命を守る上で確かな力があることを説得し証明しようとしないのか。そのことが不思議で、一体、立憲民主党の中で何が起きているのか探索を試みることにした。このところ、自民党総裁選のマスコミでの露出が過剰で、バランスを配慮してやろうというお情けの対処から、枝野幸男の活動もテレビ報道で紹介されることが多い。その度に、何か政策を並べたボードを手にして訴えている。衆院選で訴える政策カタログをPRしている。 カタログを提示して、これこれを実現するから政権交代させてくれと要請している。意気は伝わるが、何かピント外れの感覚を受けざるを得ない。違うと思う。われわれ国民がいま野党に求めているのは、政権交代の魅力をアピールする公約目録の予告やその説明ではないのだ。セールストークではなく、約束手形の口上ではないのだ。コロナ対策で具体的に動きを作ってくれることである。国民が求める方向に行政を動かす実践だ。コロナ対策で実績を作る行動である。 自民党はワクチン一本足の棄民政策だから何もやらない。そのことは国民はよく理解している。「野戦病院」も建たないし、大規模PCR検査の実施もない。国民が求めているコロナ対策の中身を、野党が主導して実現することは可能だし、具体的にどう動けばよいかはアイディアを縷々述べてきた。ひなた動画の直後に都庁に押しかけて小池百合子と直談判する絵を作るという提案もそうだし、第5波を検証・総括する第三者委員会を立ち上げるという一計も出した。 それを実行すれば、必ずマスコミは注目する。世論は歓迎して後押しする。行政を動かす成果を出せる。国会を開かなくてもやろうと思えばやれることは多くあり、コロナ対策で国民の期待に応え、国民から評価と支持を得る方法は幾らでもある。むしろ、選挙を前に野党がやらなくてはいけないのは、コロナ対策での熱意と実力を国民に示して納得させることであり、コロナ対策では野党の方が自民党よりも上だと優越性を確信させることである。野党にコロナ対策を任せようと判断してもらうことだ。口先のカタログ商法を演じても意味はない。… … …(記事全文4,056文字)
世に倦む日日
田中宏和(ブログ「世に倦む日日」執筆者)