日本共産党の綱領改定について検討を加えながら、社会主義のコンセプトのリニューアルという問題を提起した。社会主義とは何か、どんなビジョンであり、モデルであり、プロジェクトなのか、その中身を埋める理論的模索が日本では全くなされておらず、関心と熱意がない。アカデミーのみならず、共産党すらその任務と課題に積極的に取り組もうとせず、逆に疎んじて遠ざけてしまっている。 「中国は社会主義ではない」という命題を立てて訴えるなら、それなら社会主義の理念はこうで中身はこうだという具体的イメージが対置されなくてはいけない。具体論が提出され、論争されなくてはならない。今回の不破哲三による綱領改定の方法的立論、すなわち発達した資本主義国の所産と前提に重点を置いて社会主義論を組み立てる提言に対して、それに触発され反論する立場から、私なりの社会主義論の着想と試論を述べたい。マルクス主義と社会科学の理論は、どこまでもディアレクティークでなくてはいけない。 私見では、マルクスの後、社会主義にバイタルでリアルな生命力を与え、世界を作り変えてきた指導者のイデーとセオリーとして二つのものが挙げられる。第一はレーニンの帝国主義論であり、第二は鄧小平の社会主義市場経済である。二人ともマルクス主義の知識人であり、前衛党を率いた革命家である。レーニンから見ていこう。今日、あまりにレーニン否定の気分と議論が多すぎ、理論家としての意義が埋もれてしまっている感を強くする。不具合に感じる。 もしレーニンの帝国主義論がなく、ロシア革命がなかったら、ゲバラの存在はなく、社会主義のイデーとエートスが全世界の知識人に共有されることはなかった。今日、ゲバラは世界中の左翼のアイコンとなり、シンボルとなって信奉され親愛されている。ゲバラが生涯戦った敵はアメリカ帝国主義であり、CIAによって殺害された。帝国主義論こそが、マルクスのセオリーを西欧世界の限定から解き放ち、全世界に拡大させ、世界中の知識人をマルクス主義の門徒にしたと言える。… … …(記事全文2,853文字)
世に倦む日日
田中宏和(ブログ「世に倦む日日」執筆者)