━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「植草一秀の『知られざる真実』」 2012/08/19 石橋湛山の「小日本主義」 第321号 ──────────────────────────────────── 孫崎享氏の新著『戦後史の正体』がベストセラーになっていることの意味は極 めて大きい。 http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-8855.html 米国の対日占領政策は1947年に大転換した。 終戦直後のGHQによる対日占領政策においては、日本の徹底した民主化が指 向された。 財閥解体、農地解放、労働組合の育成などの措置が一気に実施され、軍国主義 国日本は民主主義国に生まれ変わることになった。 この流れのなかで日本国憲法が制定された。 主権在民、戦争放棄、基本的人権の尊重を柱とする、戦後日本の背骨が構築さ れたのである。 ところが、この憲法が施行された1947年の前半に、日本の新しい方向を定 めた米国が、外交の方針を大転換してしまった。 誠に皮肉なことではあるが、日本国憲法の基本を定めた米国自身の方針が大転 換してしまったために、日本国憲法の規定、精神と、その後の米国の対日占領 政策とが根本的な矛盾をはらむことになった。 日本の民主化は中断され、日本に対する思想統制が一気に強められたのである。 米国の対日占領政策の基本は、「徹底した民主化」から、「日本の反共防波堤 化」に大転換した。 同時に、米国は日本を実効支配する意志を明確に保持し、その後、そのスタン スを維持し続けてきた。 このなかで、日本の外交が苦闘し続けたことは言うまでもない。 孫崎氏は次のように指摘する。 「戦後の日本外交を動かしてきた最大の原動力は、米国から加えられる圧力と、 それに対する「自主」路線と「追随」路線のせめぎ合い、相克だった」… … …(記事全文5,131文字)
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植草一秀(政治経済学者)